全米ミュージックシーンの歌姫「今と昔」テイラー・スウィフトとオリビア
全米ミュージックシーンの歌姫「今と昔」テイラー・スウィフトとオリビア
カントリーミュージックから飛び出したスターたち
アメリカのこころ…カントリーミュージック
カントリーミュージックはアメリカの南部や西部の白人のフォークミュージックとして1920年代に発祥したと言われています…カントリーミュージックはイギリスやアイルランドの民謡 ブルース・ゴスペル・オールドタイムなどの影響を受けながら多様なサブジャンルや融合ジャンルを生み出してきました その中にはカントリーとロックやポップを融合させたカントリーロックやカントリーポップなどもあり これらの音楽は都市部の若者にも人気があってカントリーミュージックのファン層を広げています…カントリーミュージックは多様な感性を持つ人々によって支えられており アメリカの歴史や文化と非常に密接に関わっているようです…
ところで米国にはカントリーミュージックのグループがいくつか存在します ・カントリー・ミュージック協会(Country Music Association, CMA) ・カントリー・ミュージック国際協会(Country Music Association International, CMAI) ・カントリー・ミュージック協会財団(Country Music Association Foundation, CMAF)
これらのグループは政治的には保守派で共和党との関係が深いと言われており カントリーミュージックのファンやアーティストの多くも保守的な傾向があるようです 2001年の9.11以降カントリーミュージックは愛国心やナショナリズムを強調する曲が多くなりブッシュ政権やイラク戦争を支持する声が高まりました…
リベラルなカントリー歌手はバッシング?
カントリー歌手の中には民主党やリベラルな主張をするアーティストも存在します 例えばディキシー・チックスはブッシュ大統領を批判したことでカントリー界から締め出されたことがあります… テイラー・スウィフトもその一人です…テイラーはLGBTQの権利や性的暴力の被害者の支援などの社会的な問題に積極的に関わってきました…彼女は米国の「文化戦争」の最前線に立っているといえます 2018年 アメリカの中間選挙に関して自身の政治的見解を公表し民主党候補者への支持を表明 2019年 LGBTQの権利を支持する「ユー・ニード・トゥ・カーム・ダウン」をリリース 2020年ドナルド・トランプ大統領を批判…
※これらの言動によりテイラーは保守派からの抗議?を受けることになります…
2020年のNetflixコメディ番組「ジニー & ジョージア」シーズン1:10話「最低の裏切り行為」では主人公(ジニー)が母親(ジョージア)に“You go through men faster than Taylor Swift.”→「ママだってテイラー・スウィフトよりもすぐ男を変えるくせに」とジョークを言っています…テイラーはこれをLGBTQへの攻撃とみなしていました
2021年テイラーは「フォクロア」でグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞しましたが、このアルバムはLGBTQコミュニティから人気があり「ベティ」は同性愛者の視点で歌っていると言われています…この受賞に先輩のカントリー歌手ミランダ・ランバートはインスタグラムに「…私はカントリーミュージックに敬意を払いたい、私はカントリーミュージックに忠実でありたい…だから私がグラミー賞最優秀アルバムに選ばれるべきだった…」と投稿しました…
余談:2019年MTV Video Music Awards「ユー・ニード・トゥ・カーム・ダウン」の受賞をジョン・トラボルタが彼の失態でかく乱? トラボルタ、ドラァグクイーンをテイラーだと見間違える…
カントリーからポップへ…米国ポップの歌姫「今と昔」、社会への影響力
テイラー・スウィフト(シンガーソングライター)とオリビア・ニュートン=ジョン(シンガー)は共にカントリー歌手としてデビューし その後 ポップやロックの要素を取り入れて音楽性を変化させ世界的なスターになったという点で似ています また非常に大きな社会的影響力を持っていたという点でも共通しています…二人を振り返ってみましょう…
👉テイラー・スウィフト
1989年12月13日アメリカのペンシルベニア州生まれ 10歳のときにカントリー歌手に憧れてギターを始めた 14歳でナッシュビルに移り2006年 16歳でシングル「Tim McGraw」に続きデビュー・アルバム「テイラー・スウィフト」をリリース
2008年にはセカンド・アルバム「フィアレス」で全米1位を獲得、カントリー・ポップのスターに…2008年から2009年にかけて「ラヴ・ストーリー」「ホワイト・ホース」「ユー・ビロング・ウィズ・ミー」、「15」、「フィアレス」をリリース
2010年「フィアレス」でグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞(史上最年少での受賞)また「ホワイト・ホース」で女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンス賞と最優秀カントリー・ソング賞を受賞し4冠を獲得 同年10月アルバム「スピーク・ナウ」をリリースすると100万枚の売り上げを記録 シングル「マイン」「バック・トゥ・ディセンバー」「ミーン」はカナダでトップ10に…また「ミーン」はグラミー賞最優秀カントリー・ソング賞と最優秀カントリー・ソロ・パフォーマンス賞を受賞
2012年「レッド」をリリース ビルボード初登場1位を記録 シングル「ウィ・アー・ネバー・エヴァー・ゲッティング・バック・トゥゲザー」はビルボード全米1位に…同年American Music Awardsの最優秀女性カントリーアーティストに選出 2013年 American Music Awardsのアーティスト・オブ・ザ・イヤーに選出…同年「アイ・ニュー・ユー・ワー・トラブル」が MTV Video Music Awards 最優秀女性ビデオ賞を受賞
2014年「1989」をリリース 2015年2度目のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞、女性歌手として初めての快挙を達成した その他「シェイク・イット・オフ」「ブランク・スペース」「バッド・ブラッド」などがヒット 全世界で2億枚以上を売り上げた…
(音楽性の変遷)
テイラー・スウィフトはカントリーミュージックの出身でありながらポップやロックなどの要素を取り入れた多様な音楽を作っています…テイラーはカントリーミュージックの伝統やルーツを尊重しつつも自分の音楽性や表現力を広げている…
※しかしながらテイラーの音楽は音楽評論家の間で賛否両論あります
👉肯定: テイラー・スウィフトは、カントリーミュージックのジャンルを進化させているという意見:テイラーはカントリーミュージックの歌詞やメロディにポップやロックのサウンドやリズムを加えることでカントリーミュージックの可能性や魅力を広げ新しいファンを獲得しています…音楽評論家のアン・パワーズは「テイラー・スウィフトはカントリーミュージックの歴史や伝統を尊重しながらも自分の音楽を常に更新し革新し多様化させている:彼女はカントリーミュージックのジャンルを拡張することに成功している」と評価しました…
👉否定: 一方テイラー・スウィフトはカントリーミュージックのジャンルを破壊しているという意見です…テイラーはカントリーミュージックの本質や精神を捨てポップやロックの商業的な音楽に傾倒している…テイラーはカントリーミュージックのファンやコミュニティを裏切って自分の利益や名声を追求している…つまりはカントリーミュージックのアイデンティティや価値を低下させていると…カントリー歌手のミランダ・ランバートは「テイラー・スウィフトはカントリーミュージックを愛していない…彼女はカントリーミュージックを利用して自分のキャリアを築いただけだ… 彼女はカントリーミュージックの歴史や文化を無視してポップやロックの音楽に走っている」と批判しています
(政治活動)
テイラー・スウィフトはLGBTQの権利を支持するために様々な団体に寄付や協力をしてきました…例えば以下のような団体です
・メイク・ア・ウィッシュ財団: 病気の子どもたちの願いを叶える団体 ・GLAAD: LGBTQのメディアでの表現や扱いを改善するための団体 ・Tennessee Equality Project: テネシー州でLGBTQの権利を守るための団体
テイラー・スウィフトはLGBTQの権利を支持するために多くの団体に寄付や協力をしてきました テイラーは自身の音楽の影響力を使ってLGBTQのコミュニティに希望を届けています
👉オリビア・ニュートン=ジョン
1948年9月26日イギリスのケンブリッジ生まれ 5歳のときにオーストラリアに移住し14歳でバンドを組んで歌い始めた 1965年オーディション番組で優勝しイギリスに戻って1966年にデビュー 1970年ボブ・ディランのカバー曲「イフ・ノット・フォー・ユー」がヒット、カントリー系の歌手として注目された
1974年シングル「愛の告白 (I Honestly Love You)」が全米1位を獲得、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞を受賞
1978年出演した映画「グリース」(ジョン・トラボルタと共演・デュエット)のサントラからは「愛のデュエット」や「愛すれど悲し」などがヒット、アカデミー賞にもノミネート
1980年の映画「ザナドゥ」に主演、サントラ曲の「マジック」「ザナドゥ」がヒット、その他「恋の予感」「そよ風の誘惑」などヒット曲を送り出し、全世界で1億枚以上のレコードを売り上げた
1981年「フィジカル」が全米チャートで10週連続1位になり、1980年代の最大のヒット曲となった
(音楽性の変遷)
デビュー当初は可愛らしいルックスとカントリー系の素朴な路線で人気が出たが、1970年代後半からポップやロックの要素を取り入れました…1978年映画「グリース」では1950年代風のロカビリー調の曲を歌い、1980年の映画「ザナドゥ」ではELOとのコラボレーションでシンセポップ調の曲を歌いました…1981年の「フィジカル」ではディスコやフィットネスのブームに合わせてアップテンポな曲に挑戦しセクシーで大胆なイメージに変貌しました この曲は当時のフィットネスブームに合わせてレオタード姿でエアロビクスを踊るミュージックビデオが話題になりましたがその意味深な歌詞のせいもあって保守色の強い州南部などの一部の放送局ではこの曲の放送を自粛する動きも見られました…しかし、これは当時の社会的なムーブメント(フィットネスや健康志向のブーム)に合致していました。彼女は、女性のセクシュアリティや自己表現を肯定的に捉えることで多くの女性の共感や支持を得ました彼女はポップでセクシーな楽曲を発表しましたが時代の流れに沿った音楽を提供していたため社会的な批判や反発をあまり受けませんでした
(政治活動)
・1976年に共和党の大統領候補だったジェラルド・フォードの選挙キャンペーンに参加 ・1980年に共和党の大統領候補だったロナルド・レーガンの就任式に参加 ・2000年に共和党の大統領候補だったジョージ・W・ブッシュの選挙キャンペーンに参加
このように テイラー・スウィフトとオリビア・ニュートン=ジョンは カントリーからポップへの転身という共通点を持ちながらも時代背景や個人的な経験によって米国国民に与える印象や社会的な影響力に違いがあります